井山弘幸

井山弘幸

パキスタン・ペシャワールの子どもたち。この写真を撮影した約1年後に、すぐ近くにあるアフガニスタンにソ連が侵攻。ペシャワールの街には大勢の人々が逃れてきた。

(写真:佐藤秀明

違いがわかるとは、分けることである

インターネットの普及によって、私たちは計り知れない量の情報を手に入れることができるようになった。しかし、それは本当に何かを知ることに役立っているのだろうか。人が「知ること」「わかること」とは何なのだろう。人文学者の井山弘幸氏が思索する。

Updated by Hiroyuki Iyama on February, 15, 2022, 8:50 am JST

人類が麻酔を使えるようになったのは、「違いがわかる」ようになったから

「違いを感じる情報」が「違いがわかる知識」へと変貌する過程をもう一つ。医学史のなかからの有名な逸話(を紹介し、手がかりにしよう。舞台は1844年のアメリカ合衆国コネティカット州ハートフォード。こんなポスターが貼りだされた。

「一酸化窒素、即ち陽気ガスとか笑気ガスの名で呼ばれているガスの効能を示す大会を、1844年12月10日火曜日にユニオンホールで開催。40ガロンの同ガスを用意し、吸入希望の参会者のどなたにも吸ってみていただきます。8人の屈強な男を最前列の席に座らせ、ガスを吸った人が興奮の余り人に危害を加えることのないよう注意しておりますが、これは参会の皆様に何の心配もなく楽しんでいただきたいからです。ガスが効いてくると、ガスの性格や特色から考えて、笑うか歌うか踊るか冗舌になるか、喧嘩するかです。後で後悔するような言動を抑制できなくなるまで意識を剥奪することはありません。

◎注意。最上級の紳士の方しかガスは御用立てしません。ガスを使用する目的は、粋な楽しみを味わって頂くためです。詩人のロバート・サウジィはかつて、いと高き天の味わいはこのガスから生まれると言いました。ヨーロッパでも有数の最も名の知れた人たちにこのガスがどのような効能を及ぼしたのかは、フーパー医学辞典を御参照下されば詳細に記述されています。ガスの歴史や特性については、ガスの楽しみ会開会の時に説明いたします。またアッと皆様のど肝を抜く二、三の化学実験を楽しみ会の最後に行います。この楽しみ会の一般公開前、コルトン氏はガスの吸入を希望する女性のための会を、同日12時から1時まで行います。入場無料。但し女性に限ります。一般公開は7時からでたったの入場料25セント」

宣伝文を長々と引いたけれど、今とは事情が大分違うので少々の説明が必要となる。科学者(scientist)という呼称が生まれたのは十年遡る1834年。この呼び名が定着する19世紀末までは、自然現象を研究する物好きな連中は、大抵は愛好家で自らを自然哲学者(natural philosopher)と呼んでいた。世界中どこの大学にもまだ理工学部は生まれていない。科学の高等教育もなければ就職先もない。科学研究だけでは食べていけない時代。自腹を切って研究するくらい好きなので愛好家なのだ。そうは言っても生計は立てねばならぬ。別に本職がある場合はともかく、(酸素を発見したラヴォワジエは徴税請負業で稼いでいたし、天王星の発見者ハーシェルは音楽演奏が収入源だった)このように研究の成果を大道芸よろしく大衆の供覧に付し、日銭を稼ぐ者が多かった。このポスターの舞台であるアメリカでは、フランクリンが独学で静電気を研究していて、その成果を受け、興行師たちが電気火花でブランデーを燃やしたり、参加者に危険でない程度の電気を浴びせる感電ショーをおこなうなど、市中を巡回しながらサイエンス・ショーで木戸銭を稼いでいた。アマゾンで捕らえた電気ウナギをバケツに入れて感電サービスをおこなう業者もいた。牧師のプリーストリがバーミンガムで発見した、吸引するものを夢の境地に誘うこの一酸化窒素は格好の興行ネタだったことが分かる。

さてこの一酸化窒素はポスターにあるように「笑気」の名で知られている。Laughing Gas は後のチャップリンの短編映画の主題()にもなっているもので、ハンフリー・デーヴィが医療への応用を考え自らも吸いながら研究していたガスだ。化学式はN2O。毒性はなく吸うと笑みがこぼれ陽気な酩酊気分になる。宣伝文にあるロマン派詩人のサウジーはデーヴィの友人で笑気パーティーの常連、他には詩人のコールリッジ、蒸気機関のワットがいた。シャーロック・ホームズが阿片窟に通う少し前の時代の健全なる麻薬パーティーであった。サウジーは弟宛の書簡のなかでこう語っている。

「おおトム!デーヴィは凄いガスを発見した。酸化なんとかというガスだ……そいつを吸ってみたら急に笑いたくなり、手足の指先が疼いてきた。本当に新しい娯楽を発明してくれた。その楽しみをどう表現しよう。トムよ、僕は今夜もまた吸うよ。そいつは人に自信を与え、幸福をもたらす。……天上の空気とやらも、この不思議な働きをもつ恍惚の空気と同じものに間違いない」

アイスクリームショップ
2019年、浅草にて撮影。

やっと本題に戻りつつある。サウジーがべた誉めしたこの笑気だが、デーヴィは当初医療に使えると考えていたが余り良い結果が出ず、結果的にはこのような私的な会合のお愉しみとなり、それがアメリカに渡って大衆娯楽にまで発展した。ここまでは珈琲の話と同様に「違いを感じる」までのレヴェルだ。ここに歯科医のホーレス・ウェルズが来ていた。もちろん笑気の効能を楽しみに、である。ところが予想外の事件に遭遇する。

ウェルズは司会者が「25セントで夢のパラダイス、高揚の境地にお連れしましょう」と言って客に笑気ガスを飲ませている場面に立ち会うのだが、見物人の一人があまりに高揚しすぎて、倒れて怪我をするところを目撃する。ところが明らかに骨折したと思われるその怪我人は全く痛みを予想させる表情をしない。これを目撃したウェルズは、笑気ガスを自分で吸入し、その後で歯を一本抜いても針で刺したほどの痛みしか感じないことを確認する。まさにこの再現実験をきっかけに、外科医療の救世主である麻酔法がアメリカの歯科医によって切り開かれることとなった。この窒素酸化物が脳内でどのような化学反応を起こすのか、あるいは痛みの信号を遮断する、あるいは無化する機序はどんなものか、分析はさらに進んでいく。麻酔現象が脳内反応に由来するのであれば、その引き金となる物質は笑気だけとは限らない。麻酔作用をもつ物質を探し始めるや、さほど時を置かずに、エーテル、クロロホルムとつぎつぎと発見されてゆくのは、麻酔物質の「違いがわかる」ステージに立ったからである。19世紀後半になってようやく人類は麻酔下の無痛手術、無痛分娩の医療を享受できるようになる。たとえばヴィクトリア女王も王子の分娩にクロロホルム麻酔の恩恵を受けた。