玉木俊明

玉木俊明

2007年ごろ、新潟県・中ノ俣にて。耕うん機に乗る楽しそうな二人。

(写真:佐藤秀明

メガバンクは地域を救えない

便利で金利の高いネットバンクが次々と立ち上がっている。資金力のあるメガバンクもDX化に力を注ぐ一方、開発力の高くない信用金庫は将来が危ぶまれている。しかし、地域経済の発展の鍵を握るのはやはり信用金庫なのだ。経済学者の玉木俊明氏が、人気ドラマや漫画の例を引きながら解説する。

Updated by Toshiaki Tamaki on February, 16, 2022, 0:00 am JST

渡真利忍と半沢直樹

さて、ここでまた半沢直樹に話を戻そう。半沢の親友である渡真利忍は、外資系の銀行への転職も考えたことがある人物である。そして彼は、銀行は人事がすべてだと言い、ありとあらゆる人事情報に精通している。彼と半沢は、経営危機に陥った伊勢島ホテルを救うため、アメリカの巨大ホテルチェーンのフォスターに吸収合併されることを考える。渡真利はこう言う(2013年版)。

「よし半沢、フォスターはすべて俺が引き受ける……心配すんな、俺はもともと海外を相手にしたこういうデカい仕事がやりたくて、銀行員になったんだ。今やっと、その夢が叶う。親友のお前のためだ。なんでもやりますよ。バブル時代にやりたい放題やった連中の尻拭いをするために、俺たちは銀行員になったわけじゃない」

最終的に渡真利は伊勢島ホテルをフォスターの傘下に入れることに成功し、そのため半沢は伊勢島ホテルを救えなかったという理由で、出向させられることからは免れた。じつはこの渡真利こそ、メガバンク、さらには巨大なファイナンシャルグループで働くべき人物の理想像だと、私には思われる。

渡真利とは対照的に、半沢は小さな企業を大きくすることに強い興味を示す。おそらくそれは、自分の父親の会社が信用金庫から融資を受けることで立ち直ったことと大きく関係していた。であるならば、半沢はなぜ信用金庫で働かなかったのだろうか。それは私にとって、非常に不思議な点なのである。

2013年版の半沢直樹では、半沢は当初、大阪西支店の融資課長であり、中小企業への融資を主要な業務としていた。零細企業の経営者の息子として生まれた半沢にとって、それはきっと適性をうまく活かせる環境だったのであろう。だが、半沢は東京の本店へと異動になる。ここで半沢は2020年版での話を含め、行動パターンを信用金庫の職員からメガバンクの行員へと変革する。だが彼の根っこにあったのは、本当は信用金庫の職員のように、地元に密着し企業のことを考えるバンカーという精神なのである。

その違いは(信用金庫のことを持ち上げすぎているかもしれないが)、東京中央銀行と内海信用金庫の相違でもある。

バブルとそこからの回復

ところでメガバンクとは、比較的最近できた名称である。バブル崩壊以前の大手銀行は、都市銀行と呼ばれていた。バブルにより巨額の損失を抱えた都市銀行は、大合併時代に向かう。より正確にいうなら、山崎豊子著『華麗なる一族』(新潮社)に見られるように、少なくとも戦後、銀行は合併を繰り返してきた。それが加速化したのが、バブル崩壊による不良債権の後始末であった。

さらに1997年には、財閥の解体とともに消滅した持株会社が解禁された。1998年には金融システム改革法によってそれ以前の護送船団方式は改められることになり、日本の金融は世界に開かれるようになった。日本の金融市場は世界の金融市場に伍していけるはずであったが、現実には成功していない。

金融持株会社は、銀行業のみならず、証券や保険まで営むことになった。もはや銀行業と証券業の垣根は取り払われた。銀行の窓口で、投資信託などの金融商品について説明されたことのある方も多いだろう。

結局それは大きな金融資本の再編成の動きであり、日本を全体として捉えた視点である。このような観点からの説明には、消費者(顧客)である個人、さらには企業にとって一体何がプラスなのかという視点があまり感じられないといえば、果たして言い過ぎだろうか。消費者は、消費者の立場から金融機関を選択すべきである。そのような発想が、ここで述べた変革を実行した当事者たちに本当にあったのだろうか。

付け加えるなら、この政策は日本の金融が諸外国と競争することを述べているのであり、ここの地域がどのようにして発展するのかという視点はあまりない。地域経済がどうすれば発展するのかということは多くの人々にとって非常に重要であり、それにはここに示した政策とは別の政策が必要になろう。

リレーションシップバンキング

そのためにここでは、地域経済を支える信用金庫の役割に注目する。金融庁は地域密着型金融(リレーションシップバンキング)の機能強化を大きく打ち出したが、そのために重要な機関として、信用金庫があることはいうまでもない。

わが国における中小・地域金融機関の現在の業務展開を見ると、以下のような点が基本的な特性として見られる。

営業地域が限定されており、特定の地域、業種に密着した営業展開を行っている中小・地域金融機関は、例えば地方銀行64行ベースで本店所在地県内における 店舗比率81%、預金調達比率86%、貸出運用比率72%(2002年3月末) などの数値に示されるように、営業地域が限定的であり、特定の地域に密着した営 業展開を行っているという特性を有する。また、協同組織金融機関の場合には、法令上会員・組合員資格が地区内の事業者等に限定されているほか、特定の業域・職域に限定されることもある[金融審議会 金融分科会 第二部会「リレーションシップバンキングの機能強化に向けて」平成15年3月27日]。

さらに信用金庫の役割について、遠賀信用金庫会長(インタビュー時理事長)の中村英隆氏は、以下のように語る。

「金融界に身を置く人間は、なまじプロであるがゆえにお客様との間で最優先すべきであることは「利回り」だと考えがちです。しかし、私どもはわずかな金利の違いよりも地域でともに生きる人々との心のお付き合いを大切にすべきだと考えています。
ふるさとで、小さな身を粉にして地域貢献活動を展開する、これが「身の回り」を第一にする私どもの決意です。先に申し上げたとおり、お客様の立場からの「身の丈金融」は滅びてしまったかもしれませんが、私共は今、信用金庫という存在をかけて新しい身の丈金融を地域社会に提供し続けたいと考えております。」
(中村英隆・増田正二・大林重治『現論 信用金庫経営――3信金理事長の白熱鼎談』一般財団法人 金融財政事情研究会、2013年)

ここには、現在、経営状況が決して楽ではない信用金庫の理事長の決意・矜持が述べられている。これは、日本政府が金融ビッグバンで示した金融のあり方とは異なる、地域経済を活性化したいという意思があらわれているのだ。