玉木俊明

玉木俊明

2007年ごろ、新潟県・中ノ俣にて。耕うん機に乗る楽しそうな二人。

(写真:佐藤秀明

メガバンクは地域を救えない

便利で金利の高いネットバンクが次々と立ち上がっている。資金力のあるメガバンクもDX化に力を注ぐ一方、開発力の高くない信用金庫は将来が危ぶまれている。しかし、地域経済の発展の鍵を握るのはやはり信用金庫なのだ。経済学者の玉木俊明氏が、人気ドラマや漫画の例を引きながら解説する。

Updated by Toshiaki Tamaki on February, 16, 2022, 0:00 am JST

まいど! 南大阪信用金庫

半沢直樹も渡真利忍も架空の人物であるが、中井真吉(通称ナカやん)という架空の人物が南大阪信用金庫(ナンシン)の主人公である(平井りゅうじ原作・北見けんいち作画『まいど! 南大阪信用金庫』小学館)。彼は、大阪南部にある地元の中小企業の発展のために、それこそ骨身を惜しまずに働く。

ナカやんは、スクーターでお得意さん回りをする。半沢が大阪にいたときには公共交通機関を使っていたが、おそらくそれほど便利な立地にはないのであろう。また、自動車では小回りがきかないし、駐車場を探すのに困るし、お客さんに会うときに仰々しい印象を与えるかもしれない。
そして大阪人らしく、挨拶は「まいど」である。初めての人にも「まいど」であり、これはおそらく今後も頻繁に会って、取引先になってもらいたいという気持ちのあらわれであろう。継続的な取引関係こそ、信用金庫には望ましいのである。
ナカやんがとあるお得意さんに融資をしようとしたところ、課長から返済能力について疑問を投げかけられる。なかヤンは、「けど、いざとなったら担保不動産の回収できますし」と反論する。
それに対し課長は、こう答える。
「ええか、うち(信金)は街の金貸しとちゃうんや!! 結局、投資負担に耐えられんと家も土地もなくして一家離散にでもなったら、どう責任とるんや? うち(信金)は嫌でも地元と一緒に生きていかなならん。大銀行みたいに都合が悪うなったら『はいさよなら』ちゅうわけにはいかんのや。ええか、信金の渉外マンちゅうのはな、単なるセールスマンとは違うんやど。企業や個人の未来を開拓してやる“ライフプランナー“なんや」

半沢が目指していたのはこのような人ではなかったか。しかし、メガバンクの行員でいる以上、転勤はつきものであり、一つの企業と長く付き合うことは難しい。信用金庫の営業範囲はメガバンクと比較するとずっと小さく、仮に担当ではなくなったとしても、関係がすぐに断ち切られるわけではない。銀行なら、担保があるなら取引相手にカネを貸すだろう。しかし半沢は、そうならないためにさまざまな方策を考えるべきだと主張しており、その主張は、東京中央銀行ではなく、南大阪信用金庫でこそかなえられるのではないか。
もし半沢直樹がこの漫画を読んだなら、なかヤンに嫉妬するのではないかとさえ思われるのだ。

打出の小槌
浅草寺近くの土産物屋で売られていた打出の小槌

渡真利忍・半沢直樹・中井真吉

渡真利忍・半沢直樹・中井真吉のような人たちは、現代の日本の金融業を支える上で、誰一人欠けてはならない人物なのである。
銀行はもはやカネの貸し借りの利ざやだけでは生きていけず、証券業務や保険業務、さらには投資信託なども含む巨大なファイナンスビジネスへと変貌した。メガバンクは、日本だけではなく、全世界に目を向け、世界の金融会社と競争しなければならない。そのときに必要とされるのは、情報通であり、大企業の統合の橋渡しをできるほどの力量をもつ渡真利忍であろう。

半沢直樹がもし東京中央銀行の頭取になったとすれば、ファイナンス全体に関する知識はなく、同行を発展させるのは難しいのでしないか。彼にはむしろ、大中小の企業の成長を担う融資担当の役員が相応しいのではないか。2020年版の半沢直樹を見て、そのように感じた。
なかヤンこと中井真吉には、信用金庫の支店長として頑張って欲しい。彼なら、中小企業、さらには零細企業の立場に立った金融ビジネスができそうだからである。

経済学では、企業は利潤の最大化を目的としている。しかしそこには、労働者の視点が欠落している。企業は労働者を大切にし、彼らができるだけ長く働けるように尽力すべきではないか。そのために必要とされるのは、渡真利忍・半沢直樹・中井真吉のような人たちがたくさんいて、それぞれの役割に応じた仕事をすることだろう。彼らは、あるべき姿を体現した金融パーソンなのだ。