井山弘幸

井山弘幸

ケニアの首都・ナイロビの路上本屋。さまざまな古書が道いっぱいに広げられて売られている。

(写真:佐藤秀明

分析のいきつくところ

AIの発達によりあらためて私たちが「知る」ということや「分かる」ということが何なのかを問われるシーンが増えている。「分析」は物事を知るためのスタンダードな手法の一つであるが実は弱点もある。人文学者の井山弘幸氏が思索する。

Updated by Hiroyuki Iyama on March, 24, 2022, 8:50 am JST

あらためて「分析」を分析する

ここで分析あるいはアナリシス(analysis)を整理し簡単な見取図を書いてみよう。

1. 破壊からの探求
分解または障害の除去。原初の破壊衝動から探究方法へ。現在でも建物の解体やシュレッダーによる書類の破砕が行なわれている。スクラップはするがビルドはしない。だが、ときに何か発見することもある。考古学的遺物や遺跡が、道路工事がきっかけで見つかることがあるが、それは意図されたものではない。三内丸山遺跡は野球場の建設工事で見つかったし、三島郡和島村ではバイパス工事の際に奈良時代の木簡が出土した。発見はもちろん偶発的なものである。さらに系統だった解体である機械的分解は、設計の意図や工夫を知るのに役立つことがある。1543年に種子島に伝来した火縄銃は瞬く間に広がり、一説では、複製し量産され世界最大の銃保有国となったと言う。余り名誉なことではないけれど。刀鍛冶の八坂金兵衛清定が銃を部品にまで分解して製造方法を研究した。この銃の尾栓はねじ切りが施してあって、火縄銃とともにねじ技術も伝来した。初めて見たねじを粗銅をやすりで削って再現するまで、大変に苦労したと言う。分解から組み立てへ、「断片的な情報」から「設計の知識」へと、部分から全体へと転換できる場合のみ、分解は役立つ方法となる。だが、ただの分解に終わってしまう可能性はつねにある。産業革命期の頃には時計職人の比喩がよく用いられた。懐中時計を分解すると、発条や歯車が複雑に組み合わさっていることが分かる。そこには製作過程の痕跡が感じられる。誰かがつくったということは歴然としている。これほどまでに精緻な構造を設計した職人は余程の知恵をもっているに違いない。然るにあのフックが顕微鏡で観察してスケッチしたノミを思い出そう。下等な動物にも構造がある。内蔵も血管もある。これは分解して時計の内部構造を見たときと同じ感慨だ。ならばノミも人間も製作者ないしは設計者がいるに違いない。とても自然に発生したなどとは思えない。フィンガルの洞窟の見事な柱状節理は造化の妙の好例だが、これもまた作者がいるのではないか。被造物(creature)というくらいだから創造主(Creator)が設計したはずだ。分析によって得られる情報が、神の存在証明を可能にする聖なる知識へと変貌する。悪戯っ子の破壊衝動が見えない内部構造への探究だとしたら、無意識のうちにこのような理神論の動機に揺すぶられていたのかもしれない。

2. ときに残虐なる解剖
有機体の解剖。ディセクション(dissection)。ラテン語の dissecare は細かく切ることを意味する。腑分けとも言う。どこまで刻むかが問題である。歴史を振り返るならば、始皇帝の時代に反乱を起こした母妃の愛人嫪(ろう)あいは車裂きの刑に処せられたし、前漢建国の功臣彭越は惨殺後切り刻まれて塩辛になったとある。この話を読んでしばらく塩辛を食べるのが嫌になったことがあった。西欧でもフランス革命期のギロチンは言うまでもなく(先に登場したラヴォワジエはギロチンで処刑された唯一の科学者である)、顕職の者でも災難はふりかかる。英国大法官にして『ユートピア』の著者トマス・モアは斬首刑に処せられた。映画にもなっている。(『わが命つきるとも』)。解剖と処刑は歴史のなかで同居してきた。解剖が人心の反発や嫌悪を伴うのはこういった事情があるからだ。現在でもこのことに変わりはない。動物愛護運動の前身は antivivisectionism すなわち反生体解剖運動である。動物実験では多くの犬や猫が解剖され生きる権利を奪われている。ラットの犠牲の方が数は多いけれど話題になるのは犬猫が多い。これは感情移入できるかの問題だろう。解剖は伝統的医学でも忌避されてきた。火縄銃伝来と同じ1543年に出版されたヴェサリウスの『人体構造について』は美麗な解剖図を含む、近代医学の幕開けを告げる画期的なものであった、と慣例的に書いてしまうが、当面は治療に役立つとか診断の材料になることはなかった。230年後にジョン・ハンターが自宅で解剖講座を開いた時の学生には、外科医に混じって肉屋の子弟もいたという。解剖の実用性を理解する者に屠殺業者がいても不思議ではない。ハンターはジキル博士のモデルになった。法医解剖や組織解剖はあくまでも原因の追究であって、すぐに治療に結びつくとは考えられなかったこともある。一般の理解は学問からはかけ離れたものであり、ボレルの小説では、ヴェサリウスは、娘に求婚する若者を自宅に招いては殺し、解剖する非道の人間という怪奇ドラマの主人公になっている。米国人捕虜を生体解剖してしまった、という実話をもとにした遠藤周作の『海と毒薬』もそうだが、解剖の残虐性のイメージに関わる作品は多くある。まあ、これくらいにしておこう。

3. 根拠を練り上げる記録・解析
現象を事細かに記録する。同じアナリシスでも「解析」の訳語が当てられる。物質的な破壊や分解を伴うことなく、切り刻まれ細分化されるのは情報である。身近な例で言うと、気象データの解析から日々の天気予報が導きだされている。経済アナリストは株価の変動を予測できることもある。だがいつも有用な知識に結びつくわけではない。地震研究のようにデータ解析から有意義な予測を導けない場合も結構あるし、骨相学のようにニセ科学あつかいされたものもある。病院の栄養指導でも患者の食事履歴が解析対象となる。これに基づいて基礎疾患への食事療法の指針が立てられる。私は一日に塩分2グラム以上6グラム以下、タンパク質は最大70グラムと指導されている。不愉快なので「根拠は?」と必ず問う。解析データから結論への道筋。これは決して一本道ではないよ、と反論するも、管理栄養士は習った教科書の理論が絶対なので、教条的な反応しか期待できない。だから不承不承、言う通りにしている。分析のこの三番目の意味「データ解析」は、実際には、メディアでは余り吟味されずに使われている「科学的方法」にもっとも近いように思う。データが自ずと語るのではなく、必ず解釈理論が伏在している。厄介なことに、この理論はときおり変わる。磐石なものではない。だから「科学的根拠があって」という場合、それはデータ自体が語るから客観的で正しいという意味ではなく、データを解釈する理論が目下のところ学会では支持者が多い、ということを言っているに過ぎない。有名な例は高血圧症で20年ほど前の学会での上限値の変更で、つまり解釈理論の変更によって、健康だった人が病人に変わった(私も)。ヴェサリウスの解剖書の刊行年1543年はコペルニクス革命の年でもある。『天球の回転について』。この年はコペルニクスが亡くなった年であり、出版したくなかった地動説の本のゲラを死床で読んだ年でもある。天動説と地動説。精確には地球中心説と太陽中心説。コペルニクスも2世紀のプトレマイオスも序文で似たようなことを書いている。ここでのデータ解析は惑星の位置座標、それも地上からの仰角の情報だ。角座標を三次元座標に変換し、それでもまだ終わらない。空間上の観測点をつなぐ円軌道(ケプラー以降は楕円)を記録して初めて解析が終わる。この座標系の中心点を地球にするか、太陽にするかは、コペルニクスもプトレマイオスも計算の便宜上のものでしかない、と言っている。この解釈理論の優劣は予測が的中する精度によるのであって、データの精密さや豊富さは余り関係がない。古代より天文官が膨大なデータを蓄積した中国にコペルニクスが現れなかった理由は、幾何学的な解釈理論が不在だったことにある。歴史学者バークは分析の仲間に「分類」を含めているので、これはまた別の機会に考えてみることにしよう。

4. 史上最後の分析、化学分析
化学分析。これが史上最後に現れた分析かもしれない。この分析の特徴はどこまで分解するかの加減が難しいことにある。小麦の製粉とは違って、目視による確認ができないほどミクロな世界をあつかう。しかも全粒粉や薄力粉といった製粉の程度はそのまま用途と関係するが(そして摂取した後の血糖値の増加傾向とも関係するが)、化学分析には微視的世界の階層があって、どのレヴェルで化学合成に役立てることができるか、最初は分からずに長い間試行錯誤を繰り返さねばならなかった。化学分析は、加熱や酸処理などの化学反応を用いる分解が主な作業である。18世紀後半以降、不可分解物質(undecompounded matter)つまりもうこれ以上は分割できない、という限界をもとめる研究が繰り返された。この表現は17世紀のボイルのものだが、ギリシア語由来の原子(atom)を英語で表現したものでもある。アトムはまさに分割不能の意味だからである。古代ギリシア哲学の、たとえばデモクリトスやレウキッポスの原子がどれくらい小さいのかは想像すらできない。化学操作でその限界まで至っていなかったためである。むしろ「思惟による分割」と言っているのだから始末が悪い。数値に几帳面なニュートンはアトムの半径を10万分の1mほどに見積もっているが20世紀のペランの算定には遠く及ばない。それほど小さかったことになる。古代の聖なる四元素(地水火風)はかくして世俗化し、単離して天秤に載せることのできる、つまり秤量可能な物質が新たな分解限界とされ、元素は単体(simple)として定義された。ラヴォワジエが中心となって活躍した化学革命においてである。この時点で元素の数は4から一気に30以上に増えた。

古いバーにて
尾道の古いバーにて。1980年代に撮影。バーにも作法があり、カウンターにひじをついて飲むと怒られた。

分析という言葉にいちばん似つかわしい化学分析には、致命的な問題があって、それがいつまでも尾を引くことになる。というのも、分解の限界は、分析手段や分解機器の性能にしたがって変動するからだ。思いつくままに、なるべく歴史の順に分解方法を書いてみよう。物理的破壊(粉砕)、遠心分離、熱による分解(これは炉の温度が上がるたびに向上する)、酸処理(鉱物の分析は硝酸や熱硫酸を使う。考えてみれば胃での消化は塩酸の作用による分解である)、電気分解(これは十九世紀以降、金属ナトリウムやカリウムなどが初めて単離された)、放射線の照射、そして最後に超高速加速器。全周数十kmの大型加速器で粒子同士を衝突させ、分解を極限まで進めて得られたクォークは生成にお金がかかるだけで、何の役にもたたない。クォークの上層に素粒子、素粒子の上層に原子、原子の上層に合成化学の基本となる素材の分子と続く階層構造。つまり実用性を重視するのであれば、好奇心を満たす以外に役に立つとも思われない原子以下のサイズの超ミクロ世界まで、発掘を進める必要はなかったのかもしれない。