格段に増えた撮影の機会
今回から連載の形で〈写真〉をめぐる今日的、あるいは民俗的現象について考えてみたいと思う。私たちの日常生活は〈写真〉と切り離されないものとしてある。つまり、私たちは日夜、〈写真〉と接し、〈写真〉が存在する環境で暮らしているということになる。
今回は〈写真〉について考察していくその意味、 あるいは方法について述べることにするつもりだが、その前提としてこんな一節をまず紹介しておきたい。
日本では昭和五六年(一九八一)に国民一人あたりのカメラのショット数がアメリカ合衆国を抜いて、年間に五四・三回、つまり五四コマを使うことになったという。
『日本民俗文化大系 第12巻 現代の民俗―伝統の変容と再生』(小学館 1986年)
上の一節は、民俗学者・坪井洋文「故郷の精神誌」からの引用である。坪井は日本人が写真を撮り、また写真を個人的、あるいは家族として保存しようとする意思について〈故郷〉というキーワードから読み解こうとした。
坪井の引用は、文末の文献一覧によると新聞のコラムによるもので『現代の民俗』刊行後のことだが、同じ内容の記述が『日本カメラ工業史――日本写真機工業会30年の歩み』(日本写真機工業会編・発行、1987年)の年表にも明記されていたはずだ。「日本写真機工業会」はフィルム写真産業を中心とした業界団体で1954年4月に発足、現在はその組織と活動は「カメラ映像機器工業会」に引き継がれている。
先に挙げた引用の、日本国民一人あたりのカメラのショット数が、1981年にアメリカを抜いたという記述は、具体的に年間54.3回、54コマと明示されているうえ、この団体の性格からみても、フィルムの売り上げ個数から類推したことがわかる。
この統計資料から30年後の現在、日本人一人あたりのカメラのショット数は、当時とは比べ物にならないくらい増大していることは間違いない。その原因 はもちろんスマートフォンに搭載されたカメラで、日常的になにげなく被写体にレンズを向け、シャッターを押す、いやシャッターボタンをタップしているからにほかならない。答えを簡単に導き出せるものではないが、現代の日本人は、生涯のうちに何回、カメラのシャッターを切るのかといったことが、これから考えていきたいことのひとつなのである。
災害から写真を救出する
先ほど言及した坪井の「故郷の精神誌」は、1970年代から80年代に発生したふたつの災害を端緒に書き起こされている。ひとつは1974年9月、台風16号の洪水により多摩川が氾濫し、東京都狛江市の民家19棟が流失するという大水害である。もうひとつは1985年7月26日に、長野市上松の地附山で地滑りが起き、大量の土砂が住宅地に流れ込み55棟が全半壊し、老人ホームでは入居者26人が犠牲になった被害だ。
ふたつの災害を取り上げた新聞記事では、どちらのケースでも、災害の前後に「アルバムを取りに戻った」というエピソードが取り上げられていて、坪井はそこからアルバムに託された「写真」に対する日本人の強い想いをくみ取ったのだった。
多摩川水害は、濁流に住宅が次々と呑み込まれていくシーンがテレビで全国放送され、日本全体に大きな衝撃を与えた。そして、アルバムを流失家屋からアルバムを探すエピソードも含め、山田太一原作・脚本のテレビドラマ「岸辺のアルバム」に描かれることで、大衆の記憶に刻まれることとなる。
こうした災害から写真を救出する行為は、21世紀になっても行われた。2011年3月に発生した東日本大震災では、東北の太平洋岸に大津波が押し寄せ、数多くの家屋が流されたり、損壊したりした。その被災家屋から多くの人々が家族アルバムを、どこかに貯めておいた写真の紙焼きを探し求め、汚損した画面を洗い落として、もともとはそこに写っていた映像を取り戻そうとしたのである。