畑中章宏

畑中章宏

昔のスタイルの結婚式を執り行ったカップルとその参列者。結婚したのは中ノ俣を支えるNPOのメンバー。伝統文化を愛する人々だ。

日本人は生涯に何回シャッターを切るのか?

記録媒体の発展やクラウド技術の誕生により、現代は膨大な量のデータを残すことができるようになった。さらにはデジタルカメラや高精度なカメラを備えるスマホの登場により現代人は凄まじい量の写真を残している。
しかし人が写真を撮る姿をよく観察してみると、実はその意味合いが以前とは随分変わってきていることに気づく。民俗学者・畑中章宏氏の考察を紹介する。

Updated by Akihiro Hatanaka on January, 24, 2022, 10:00 am JST


格段に増えた撮影の機会

今回から連載の形で〈写真〉をめぐる今日的、あるいは民俗的現象について考えてみたいと思う。私たちの日常生活は〈写真〉と切り離されないものとしてある。つまり、私たちは日夜、〈写真〉と接し、〈写真〉が存在する環境で暮らしているということになる。
今回は〈写真〉について考察していくその意味、あるいは方法について述べることにするつもりだが、その前提としてこんな一節をまず紹介しておきたい。

日本では昭和五六年(一九八一)に国民一人あたりのカメラのショット数がアメリカ合衆国を抜いて、年間に五四・三回、つまり五四コマを使うことになったという。

『日本民俗文化大系 第12巻 現代の民俗―伝統の変容と再生』(小学館 1986年)

上の一節は、民俗学者・坪井洋文「故郷の精神誌」からの引用である。坪井は日本人が写真を撮り、また写真を個人的、あるいは家族として保存しようとする意思について〈故郷〉というキーワードから読み解こうとした。
坪井の引用は、文末の文献一覧によると新聞のコラムによるもので『現代の民俗』刊行後のことだが、同じ内容の記述が『日本カメラ工業史――日本写真機工業会30年の歩み』(日本写真機工業会編・発行、1987年)の年表にも明記されていたはずだ。「日本写真機工業会」はフィルム写真産業を中心とした業界団体で1954年4月に発足、現在はその組織と活動は「カメラ映像機器工業会」に引き継がれている。
先に挙げた引用の、日本国民一人あたりのカメラのショット数が、1981年にアメリカを抜いたという記述は、具体的に年間54.3回、54コマと明示されているうえ、この団体の性格からみても、フィルムの売り上げ個数から類推したことがわかる。

この統計資料から30年後の現在、日本人一人あたりのカメラのショット数は、当時とは比べ物にならないくらい増大していることは間違いない。その原因はもちろんスマートフォンに搭載されたカメラで、日常的になにげなく被写体にレンズを向け、シャッターを押す、いやシャッターボタンをタップしているからにほかならない。答えを簡単に導き出せるものではないが、現代の日本人は、生涯のうちに何回、カメラのシャッターを切るのかといったことが、これから考えていきたいことのひとつなのである。

災害から写真を救出する

先ほど言及した坪井の「故郷の精神誌」は、1970年代から80年代に発生したふたつの災害を端緒に書き起こされている。ひとつは1974年9月、台風16号の洪水により多摩川が氾濫し、東京都狛江市の民家19棟が流失するという大水害である。もうひとつは1985年7月26日に、長野市上松の地附山で地滑りが起き、大量の土砂が住宅地に流れ込み55棟が全半壊し、老人ホームでは入居者26人が犠牲になった被害だ。

ふたつの災害を取り上げた新聞記事では、どちらのケースでも、災害の前後に「アルバムを取りに戻った」というエピソードが取り上げられていて、坪井はそこからアルバムに託された「写真」に対する日本人の強い想いをくみ取ったのだった。
多摩川水害は、濁流に住宅が次々と呑み込まれていくシーンがテレビで全国放送され、日本全体に大きな衝撃を与えた。そして、アルバムを流失家屋からアルバムを探すエピソードも含め、山田太一原作・脚本のテレビドラマ「岸辺のアルバム」に描かれることで、大衆の記憶に刻まれることとなる。
こうした災害から写真を救出する行為は、21世紀になっても行われた。2011年3月に発生した東日本大震災では、東北の太平洋岸に大津波が押し寄せ、数多くの家屋が流されたり、損壊したりした。その被災家屋から多くの人々が家族アルバムを、どこかに貯めておいた写真の紙焼きを探し求め、汚損した画面を洗い落として、もともとはそこに写っていた映像を取り戻そうとしたのである。

家庭アルバムの歴史主義時代

「故郷の精神誌」の要所には、人類学者・鶴見良行の「家庭アルバムの原型」(1965年)が引用されている。鶴見はこの論文は、日本人と写真の関係性、日本の近代社会に写真がもたらした民俗性を、丹念に叙述した優れた論文だと言えよう。

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2018年ごろ撮影した小江戸・川越。国道沿いに古い建物が続く。名物である芋菓子店の前を地元の中学生が歩く。

写真の技術が日本に輸入されたのち、人々を写真館に向かわせた動機はふたつあった、と鶴見は言う。その第一は、「人口移動による動機」で、維新の志士が家族や知友に遺した写真にはじまり、都会への遊学、就職のための移動、商用上の旅行、さらに明治元年(1868)の奥羽戦争をはじめとする国の内外での戦争時の出征にあたり、家郷に残し、あるいは家郷に送るために移動先で撮影したものである。
内容は出生、七五三、入学と卒業、就職、徴兵検査、結婚、出世、還暦、死亡など、その人の一生の区切りを軸としたもので、「日本が近代化の途上において採用した義務教育制度や国民皆兵制度によってもたらされたものが多い」という。そうして鶴見は、これらの記念写真は、伝統的な日本人の民俗思想や先祖崇拝とも結びついているとみている。

ある特定の日を選んで多くの写真が撮られたのは、一年のサイクルや一生のサイクルといった「晴(ハレ)」の日を軸とする螺旋的な時間認識によるものであり、明治から1935年頃までの日本人の家庭アルバムは、このような写真で占められる。
「これは、永い人生の行程の一瞬一瞬を充実して生き、それを表現しようとして撮られた写真ではなく、一段登りつめるごとに前を仰ぎ、後をふりかえって撮る記念写真であるから、この時代を家庭アルバムの歴史主義時代と呼ぶことができる」と鶴見は言うのだ。

「芸術至上主義的発想」による撮影行為

こうした鶴見の論述を受けて坪井は、特定の状況にふさわしい盛装をし、緊張した面持ちで撮られたこの時代の写真は、人生の到達点や移行段階を示そうしていて、健康、出世、富貴、名誉、長寿などその人の「晴」の姿を演出することが試みられているという。
しかし、大災害に遭った狛江市や長野市の人々が探し求めた家庭アルバムは違った。そこに貼られているのは、人口移動の契機や生活の区切りの思想による非日常を迎えるため、営々とした生活を送るなかで撮られた日常的写真が多いのである。

人間関係が多様化し、写真を撮る空間や時間が拡大され、「晴」と「晴」をつなぐ日常生活に意味を求め、それによって「晴」の写真にいたる経過を説明するライフ・ヒストリーの性格を強く持つものとなっていったこのような家庭アルバムを、鶴見は「芸術至上主義的発想による家庭アルバム」と呼んだ。
日本では1981年にカメラのショット数がアメリカ合衆国を抜いた日本の国民は、生活を記録し、表現しようとしたのだったが、「芸術至上主義的発想」は21世紀の現在も、姿を変えて受け継がれているのではないだろうか。

戦後日本と「カメラ」の盛衰

1963年4月に小西六写真工業(のちのコニカ、現コニカミノルタ)が、世界初の自動露出カメラ(AEカメラ)「コニカ AutoS」を発売。1977年11月には、同じく小西六が世界初のオートフォーカスカメラ「コニカ C35AF」を発売した。このカメラは「ジャスト・ピント」の意味から「ジャスピンコニカ」という愛称で宣伝され、女性を含む幅広い層に受け容れられていった。
1986年7月、富士フイルムが販売を開始したレンズ付きフィルム「写ルンです」の一大ブームがあり、また1993年10月にはキヤノンが「EOS Kiss」を発売小型軽量かつ低価格化で、女性を中心に一眼レフカメラユーザーを拡大した。
そして、カメラ付き携帯電話の登場である。そのルーツとして、1999年にDDIポケット(現・ワイモバイル)より発売された機種もあったが、2000年10月にシャープ製携帯端末「J-SH04」が商品化され、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)から同年11月に発売されてから爆発的に普及していく。2001年には「写メール」という造語が考案され、2003年には日本国内で「カメラなし」携帯電話は駆逐されてしまった。

かつては、家族アルバムに貼られる写真は、カメラの所有者である父親が撮るものだと決まっていた。1981年に数えられた年間54コマも、おそらくそのほとんどは父親が撮影したものだったろう。しかし、80年代後半以降、写真は成年男性だけではなく、女性や若年層、そしてカメラ付き携帯の登場により、低年齢化が進んでいるのではないか。またフィルムを必要とせずデジタルで記録し、インターネット上にアップするという経済的負担が少ない技術と方法が、写真撮影の手軽さを推進したのだ。

「考現学」の手法で読み解く

現在の写真をめぐる状況は、日常になにげない光景にレンズを向け、シャッターを切るという、鶴見良行が定義したところの、写真の「芸術主義時代」からさらに広がった現状にあるとみていいだろう。

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2021年東京・檜原村。観光客を呼び込むために植えられたツツジが満開に。後ろに見えるのは古い農家。昔は多摩川の氾濫が多かったことから住宅は斜面の上に建てられるようになった。

そうした写真の現在、進行形の写真をこれから考察していくあたり、民俗学の隣接領域である「考現学」を用いることにしたい。考現学(modernology)は、今和次郎が提唱した学問・方法で、古代の遺物や遺跡によって人類の古文化を研究する考古学に対し、現代の社会現象や風俗世相を調査、記録、考察しようするものだった。第一次世界大戦後の東京に暮ら人々の服装、室内における物の配置、公園や街の通行人の風俗などを観察し、データ化したり、スケッチしたりすることで風俗研究の新しい方法を開拓したのだ。

じつを言うと、先程掲げた「日本人は生涯に何回シャッターを切るのか?」について、まだ私は結論どころか、推論も導き出せずにいる。しかしこうした問題についても、考現学手法をもってすれば答えに近づけるのではないか。
またこの連載では、これからたとえば、「七五三」の記念写真や、葬儀で掲げられる「遺影」、あるいは「心霊写真」といった民俗学的対象のほか、AIによるモノクロ写真のカラー化や、スマホの写真はなぜ正方形なのかといったテクノロジーをめぐる感情についても取り上げてくつもりなので、それには「考現学」と銘打つのがふさわしいと思うのだ。
それではしばらくのあいだ、〈写真〉の揺れ動く現在形を観察していくのにおつきあいいただこう。

本文中に登場した書籍一覧
『日本民俗文化大系 第12巻 現代の民俗―伝統の変容と再生』(小学館 1986年)
『日本カメラ工業史――日本写真機工業会30年の歩み』(日本写真機工業会編 1987年)