畑中章宏

畑中章宏

昔のスタイルの結婚式を執り行ったカップルとその参列者。結婚したのは中ノ俣を支えるNPOのメンバー。伝統文化を愛する人々だ。

日本人は生涯に何回シャッターを切るのか?

記録媒体の発展やクラウド技術の誕生により、現代は膨大な量のデータを残すことができるようになった。さらにはデジタルカメラや高精度なカメラを備えるスマホの登場により現代人は凄まじい量の写真を残している。
しかし人が写真を撮る姿をよく観察してみると、実はその意味合いが以前とは随分変わってきていることに気づく。民俗学者・畑中章宏氏の考察を紹介する。

Updated by Akihiro Hatanaka on January, 24, 2022, 10:00 am JST

戦後日本と「カメラ」の盛衰

1963年4月に小西六写真工業(のちのコニカ、現コニカミノルタ)が、世界初の自動露出カメラ(AEカメラ)「コニカ AutoS」を発売。1977年11月には、同じく小西六が世界初のオートフォーカスカメラ「コニカ C35AF」を発売した。このカメラは「ジャスト・ピント」の意味から「ジャスピンコニカ」という愛称で宣伝され、女性を含む幅広い層に受け容れられていった。
1986年7月、富士フイルムが販売を開始したレンズ付きフィルム「写ルンです」の一大ブームがあり、また1993年10月にはキヤノンが「EOS Kiss」を発売小型軽量かつ低価格化で、女性を中心に一眼レフカメラユーザーを拡大した。
そして、カメラ付き携帯電話の登場である。そのルーツとして、1999年にDDIポケット(現・ワイモバイル)より発売された機種もあったが、2000年10月にシャープ製携帯端末「J-SH04」が商品化され、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)から同年11月に発売されてから爆発的に普及していく。2001年には「写メール」という造語が考案され、2003年には日本国内で「カメラなし」携帯電話は駆逐されてしまった。

かつては、家族アルバムに貼られる写真は、カメラの所有者である父親が撮るものだと決まっていた。1981年に数えられた年間54コマも、おそらくそのほとんどは父親が撮影したものだったろう。しかし、80年代後半以降、写真は成年男性だけではなく、女性や若年層、そしてカメラ付き携帯の登場により、低年齢化が進んでいるのではないか。またフィルムを必要とせずデジタルで記録し、インターネット上にアップするという経済的負担が少ない技術と方法が、写真撮影の手軽さを推進したのだ。

「考現学」の手法で読み解く

現在の写真をめぐる状況は、日常になにげない光景にレンズを向け、シャッターを切るという、鶴見良行が定義したところの、写真の「芸術主義時代」からさらに広がった現状にあるとみていいだろう。

奥多摩地区に咲くツツジ
2021年東京・檜原村。観光客を呼び込むために植えられたツツジが満開に。後ろに見えるのは古い農家。昔は多摩川の氾濫が多かったことから住宅は斜面の上に建てられるようになった。

そうした写真の現在、進行形の写真をこれから考察していくあたり、民俗学の隣接領域である「考現学」を用いることにしたい。考現学(modernology)は、今和次郎が提唱した学問・方法で、古代の遺物や遺跡によって人類の古文化を研究する考古学に対し、現代の社会現象や風俗世相を調査、記録、考察しようするものだった。第一次世界大戦後の東京に暮ら人々の服装、室内における物の配置、公園や街の通行人の風俗などを観察し、データ化したり、スケッチしたりすることで風俗研究の新しい方法を開拓したのだ。

じつを言うと、先程掲げた「日本人は生涯に何回シャッターを切るのか?」について、まだ私は結論どころか、推論も導き出せずにいる。しかしこうした問題についても、考現学手法をもってすれば答えに近づけるのではないか。
またこの連載では、これからたとえば、「七五三」の記念写真や、葬儀で掲げられる「遺影」、あるいは「心霊写真」といった民俗学的対象のほか、AIによるモノクロ写真のカラー化や、スマホの写真はなぜ正方形なのかといったテクノロジーをめぐる感情についても取り上げてくつもりなので、それには「考現学」と銘打つのがふさわしいと思うのだ。
それではしばらくのあいだ、〈写真〉の揺れ動く現在形を観察していくのにおつきあいいただこう。

本文中に登場した書籍一覧
『日本民俗文化大系 第12巻 現代の民俗―伝統の変容と再生』(小学館 1986年)
『日本カメラ工業史――日本写真機工業会30年の歩み』(日本写真機工業会編 1987年)