井山弘幸

井山弘幸

(写真:WindAwake / shutterstock

集めることを、知ること、創ることにつなげるためには

ものを集めるということは知識の獲得の手段になりうる。「もの集め」をざっと一覧して、もの集めが、知ることや、創る行為とどのように関わりをもつのか考えてみよう。

Updated by Hiroyuki Iyama on April, 17, 2023, 5:00 am JST

集められただけの標本に、進化論の解釈を与えて整理したダーウィン 

進化論の提唱者として同時発見の好個の事例としてとりあげられることの多いダーウィンウォレス。二人とも標本の収集が新理論の発見の基礎となっていることで共通している。共通しているとは言え、ダーウィン家の犬の餌代の方がウォレスの収入よりも多かったと噂されるほど経済状況は雲泥の差であった。

まずはダーウィンから。1831年ダーウィンはケンブリッジ大学を卒業するとすぐに、英国海軍の探検艦ビーグル号に乗船し、世界周航の旅に出る。この時彼の心づもりでは、世界中の岩石、特に南米の岩石の性質を研究したいとのことであった。出版されたばかりの地質学のバイブルともなるライエル(1797-1875)の『地質学原理』(Charles Lyell,  Priciples of Geology,  1830-33)を船に持ち込んで狭い船室のハンモックで揺られながら読みふけっていた。ライエル学説の中心的思想は、斉一説(uniformitarianism)にあった。

「Charles Darwin」 Date:1868 Artist:Julia Margaret Cameron (English, 1815–1879)  The Art Institute of Chicago.

この思想は、現在の地球が火山爆発や隆起や洪水などの天変地異によってできた、とする激変説(catastrophism)に対抗した形で登場した、新しい地球形成の理論でもある。現在起きつつある軽微な変化でも、それが何億何千万年と積み重なると、大規模な激変に匹敵する変化を地球に及ぼすだろう、という考えにダーウィンは瞠目した。この航海は彼にセレンディピティーを与えたことになるのだが、それでも南米の寄港地では岩石標本の採集をおこなっているから、彼もまた「石集め」をしていたのだ。ビーグル号は西アフリカ沖のヴェルデ岬諸島を通ってリオデジャネイロを通り、ホーン岬で南アメリカ大陸を回って北上し、リマに寄港してから、有名なガラパゴス諸島に寄っている。ここではフィンチの標本採集やゾウガメの甲羅の文様のスケッチを行ない、それらの生態学的および動物学的観察がいかなる霊感を彼にもたらしたのか、本人の言葉を少し引用していこう。

――陸鳥については、私は26種を得た。すべてこの群島に独特のもので、他で見られなかった。北アメリカ産のヒワの一種で、雲雀に似たもの(Dolichonyx oryzivorus)は例外で、これは北アメリカ大陸では、北緯54度の北まで分布して、一般に沼地に出没している……私はこの群島の博物について、最もすぐれていちじるしい特色をまだ挙げていなかった。それはそれぞれの島に、それぞれ異なった生物の群が相当に多く棲んでいることである。副知事のロースン氏が、亀は各々の島によってそれぞれ異なっており、彼の面前に持って来れば、どの島のものか確かに判別すると断言したことで、私ははじめてこの事実について注意した。そして既に二つの島からの採集品のうち、一部分は一つに混ぜてしまった後であった。私はこの島々がそれぞれ約50、あるいは60マイルを隔てて、大概は互いに視界のうちにあり、まさしく同種の岩石から成っており、全く同様な気候の下にあり、ほとんど等しい高度をもっているので、島々の住者がそれぞれ異なることは夢想もしていなかった。

鉱物に動物標本の収集が博物学者としての任務であったが、ライエルの斉一説の知恵を借りてただ集められただけの標本の多様性に、進化論の解釈を与えて整理することができたところにダーウィンの卓越性を感じる。